視界がぼんやりとしていた。目尻の方から熱がじわじわと攻めて来る。真ん中に達するのを恐れて瞬きをすれば一旦リセットされてまた端から端から上がってくる。何度も同じことを繰り返していたが其れさえも億劫になって仲良くしようとする瞼に抵抗せずゆっくりと目を閉じる。


何かが叫ぶ声がして反射的に目を開ける。何かが耿耿と光黒い土を照らしている。嫌な予感がして顔をあげる。全身の毛が逆立ったように感じた。
此れが何か知っている。熱い、焦げ臭い、苦しい。其処から紡ぎ出される答えは、目に映る火柱だった。見ると辺りも炎に包まれている。一歩後退ればガラス細工の様なものを踏んだらしくガリっと音をたてた。
どこかで母親と逸れたのか子どもが泣きじゃくっていた。声の方向へ歩を進めようとするも足が全く動かない。嫌な汗が背中を伝う。その間に子どもの泣き声は大きくなって触発されたかのように双海の目からポロポロと涙が零れ落ちる。
声が、出ない。
恐怖と見えない威圧感に押される。
子どもは息継ぎをしたのか一瞬声が止まる。その瞬間双海の視界がぐにゃりと揺れた。
(地、震…?)
底から突き上げるような揺れに双海はバランスを崩す。其れと同時にガラっと上方から音が聞こえて慌てて見上げると太い大木が迫っていた。右目の、死角から。
ああ、もう駄目なんだ。そう思って目を瞑った。



何時まで経っても衝撃はない。その代わりに自分の名前を呼ばれる声がした。ゆっくり、目を開けてみるといつの間にか炎は消えていて其れに似たような瞳が双海を覗き込んでいる。

「真っ赤…」
「大丈夫かいな」

丁度言葉が重なる。けれど双海の喉はからからで声は枯れていたので柘榴はちゃんと聞き取れなかったらしく首を傾げた。しかし双海が言い直さないのを知ると「ちょっと待っててな」といって何処かに行ってしまった。
体の火照りを感じながら双海はそっと起き上がる。少し背中がすーすーして汗をかいているのだと判断する、とそこではたと気付く。辺りを見渡してみるが何もない。焦りを感じてその後戻ってきた柘榴の袖をつかんで捲くし立てた。

「地震は?っていうか火事は?あれ何だったんだ?」
「は?」

喉は未だ全く潤っていなく声が裏返ったが気にしなかった。対する柘榴は突然服を掴まれ危うく持っていた水差しを落としそうになった。加えて理解不能な質問に虚をつかれる。

「子どもが…泣いて…。そうだ、助けないと…!」
「落ち着けやー!!」

柘榴がもう片方に持っていたタオルを双海の顔に投げつけた。ポフっといって綺麗に双海の顔面クリティカルヒットしたそれは、体を撫でるように落ちていく。

「、にすんだ…!」
「地震も火事も済んだ。子どもも助かった。何や知らんけど全部終わったわ。これで満足か?」

柘榴のその態度が余りにも余裕で腹が立ったけど自分の言ったことがよく分からなくなっていて思索する。まだ袖を掴みっ放しなことに気付いてそっぽを向きながら力を緩めた。
持ってきた水差しの中身をコップに注ぐのを見ていたが、やがて一つの結論が双海の頭の中をいっぱいにする。


「夢かよ…!」
顔が赤くなっていくのを感じてタオルを引っ掴んで今度は笑っているように見える柘榴の顔めがけて投げる。力を入れすぎた所為で上手く飛ばなかったが、コップを持っていた柘榴の手がピクっと揺れ水が零れそうになって柘榴は今度こそ恨めしそうに双海を睨んだ。

「さっきから危ないねん、っていうか八つ当たりやん!!」
「…っなんでさっき話合わせたんだよ!!」
「いやー余りにも必死で可哀想やったから…」

そう言いながら泣き真似を始めた柘榴を本気の本気で冷やかな目で見た。起きてから何度も叫んだ皺寄せが今ごろ来てくらくらする頭を押さえた。しかも頬が熱い。まだふざけている柘榴の手からコップをそっと取ると右頬にぴたりとつけた。接した部分が冷たさと熱さで反発し合ってチリチリする。けれど全く構わず何度か両頬交互につけると自分の熱でぬるくなってしまう前に一口つけた。
落ちたタオルを拾いながら柘榴は何が面白いのかケタケタと笑っている。汗拭きや、と言って差し出された其れを一度躊躇ってから受け取るとトレードみたいに双海の持っているコップを掴まれ、あ、と小さく声を出した時には中身を飲み干されていた。

「…うつるぞ」
「うつせば治るわ」
「え、だって今の間接的だからさ…あーもういいや、面倒臭い…」
「なんなんそれ?諦めんのか!?お前はそれでいいのか!?」
「何でさっきから演技臭いんだよ」
「まあそれは置いといて、背中拭いたるから後ろ向け」

話が飛躍しすぎてる…と思ったが黙って柘榴の言葉に従う。どれだけ憎まれ口を叩いても嬉しい行為であることに変わりはないのだ。強すぎず弱すぎない丁度いい力加減に心地良さを覚えて目を閉じる。

「あ、もしかして」
「ん?」
「俺が寝てる時揺すったりした?」
「うん、魘されとったし」
ああ、それで、と心の中で呟く。もう一度目を瞑って今度は夢の中のあの感情に浸ろうと思ったがあまり覚えてなくて懐かしさだけが残る。柘榴が着替えを取りに行った間に首とか脇とかもうそろそろ冷えて寒そうな汗を拭き取っていく。急に子どもの泣き声がフラッシュバックする。
子どもは母親とあのまま出会えただろうか、それともいきなり大切な人を永遠に失ってしまったのだろうか。
こんな穏やかなところでは迫り来る何か(いあつかん)に気が付けない。大切なものをなくしたり、運が悪ければ命を落としたり。もしそうなった時、誰かが、自分の伝えたかったことを分かってくれるだろうか。言伝する時間がなくたって、気付いてくれるだろうか。
人間は不器用だから、そんなこと期待できないのか。それなら直接言ってしまう他ないのだろうか。
柘榴が戻ってきて双海に寝巻きを差し出す。双海の様子が違うことに気付いて何、と訊いた。双海は一度口をもごもごさせたがやがて諦めたように溜息をつく。そして小さく呟いた。



「…違う、あんたは」
「は?」
「…あんたは違う。気付いてくれる、だろ?」
「…まだ寝ぼけてんの?」

柘榴の問いかけに返事をしないで先程言いかけてやめた言葉を胸の内にしまった。一抹の不安と微かな希望を抱いて、あんたは違う、ともう一度心に刻む。
あんたなら、俺が最期に言いたかったことに気付いてくれる、そう、



(願う…)














永遠の先を知る
(だから今は絶対に言わない)