茶暈けた掌サイズのノートを見つけた。小鳥も微睡む暖かい午後のこと。 ノートの持ち主の同居人がクッキーを焼いたらしく、どうも口が甘い物を欲していたルィーラーは二つ返事で家にお邪魔することに決めた。

 何時も召使いが用意してくれる甘味とはまた違った庶民的な味がした。成程、こんなゆるっふわっとした物を毎日食していたらパリスの様な恍け人が創り出されても可笑しくはない。…まあ其れなりに美味だった。口には出さないけれども。

 一息吐いた後は、お約束といった風に、パリスの部屋を覗きに行く。生活感を感じさせる雑然とした空間、しかし其処等の17歳とは違いすぎる案外小ざっぱりとした部屋で、想像とまるで違うその雰囲気に彼の職業を忘れてしまいそうになる。実際稼いでいるだろうに、何故?と一瞬疑問符を浮かべるが、然して興味の無い事だったので直ぐに忘れた。
 他愛も無い会話をしつつ、部屋を物色していると、冒頭のブツを発見したのだ。


「なにこれ、日記?」
「おう。え、おまっ、絶対中見んなよ!」
「それ振りだろ?というか日記とかださ…。日記書いているなんて、純粋キャラかよ。」
「キャラってなんだっ!いいか?日記っていうのはな、脳味噌の整理なんだぞ?日記を附けて記憶を思い返してから寝ると記憶が定着するんだ。」
「そんな事は知っているが…」
「今日は何処ぞの誰と此れ此の話をした。っていうのを記録するとな、めっちゃ覚えられるんだぞ!俺様みたいな接客やってる奴にとってはお客様の顔を名前を憶えていたら喜んで貰えるからな!」
「結局女の為か。其れを心の底から思ってるなんかお前くらいだろうな。」


 パラパラっと頁を捲る。間髪入れずに中見んなって言っただろおい!というツッコミ(?)を耳にしたが、特に悪びれた風もなく捲っていく。



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10月11日
朝、目を醒ますとリビングだった。
徹夜続きだったから、疲れ溜まってたんだな。
ノクスは既に起きていて、昨夜覚えた変なダンスを踊っていた。
頭痛が酷かったので部屋に帰って又就寝。
次に目を醒ましたのは20時だった。
リビングに行くとノクスはまだ変なダンスを踊っていた。

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12月29日
この日は毎年のように雪が降る。
ノクスは喜んでいるので寒さもあまり感じない。
夜に小さい雪達磨を作ってケーキの隣に置くと、蝋燭の温かみで明転した時には頭の方が少し欠けていた。
水溜りが出来ていたので、ノクスと二人、桜子にこっ酷く怒られた。
落ち込んでいたノクスもケーキを食べた時には楽しそうにしていた。
毎年祝えることに感謝する。
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「なんか…子育て日記みたいだな…」
「は?なんでだよ!」


 パリスが中を見るなと言ったのは大した事では無かったのだろう。 同じようにルィーラーの後ろから日記を眺めている。本当に振りだったみたいだ。 書き綴られていることは、同居人たちの言動ばかりだ。自分とは何かが違う、以前からそう感じていたルィーラーはその違和感を直ぐに見出すことが出来た。 思わずふうん、と口に出してしまう。別に羨ましくなんか。


「ずっと書いてるのか」
「そうだなー気付いた時にはもう書いてたな」
「ふうん…此れ、最新のやつだろ?もっと昔のやつはないのか?幼少期の物。」
「ああ、探したら在ると思うが…」


 そう言うと、パリスは本棚を漁り出した。 待っている間、ルィーラーは椅子に腰掛け読み耽る。 矢張り其処には例に依って1日の出来事が4〜5行で纏められており、例に依って同居人が登場する。 何故か第三者の日常を覗き見しているような居心地の悪い感覚に陥る。 しかも驚いた事にどれも此れも会った事も無い人物までも憶えの在る名前ばかりだ。 成程、パリスが在れや此れやと話している内に覚えてしまったのだ。 此れが将に洗脳という奴か。歩くプロバガンダ。 其れを恐ろしいと考える余地も与えないのがミソだ。知らず内に布教されている。ボクは宗教紛いになんて絶対に騙されないぞ。

 ふん、と鼻で笑う。其の声にパリスは不思議そうにルィーラーを見たが元の作業に戻っていた。其れから数分もしない内にあったぞ、と言いながら今持っている物よりも更に古暈けたノートを取り出してくる。本当に年季が入っている代物だ。


「これ、お前のファンに売りに出したら高く付くんじゃないか?」
「何で日記を売りに出さなきゃいけないんだよ。絶対に嫌だ。」
「金儲けしたいのじゃないのか。じゃあなんの為の商売だよ。」
「そう言う処で稼ぎたくねーの!俺は!フェアな関係で居たいだろ!」
「しかし、お前は売りたい、客は買いたいならフェアな関係だろう。需要と供給の曲線は常に比例している。」
「店の外に持ち出してまで商売する気はねーよっ!」
「異質な奴だな、本当にお前は。」
「興味が湧くんでしたら是非当店へ。」
「矢張り商売じゃないか、本当に分からない。」


 見る気が無いなら仕舞うぞ。そう言われ、伸びてきた手を払いながらノートを開ける。拙い字だった。こんな奴にも幼き頃はあるのだ、と漠然と感じた。

しかし、ページを捲っても捲っても先程の感覚は感じ得ない。何故だ。幼児であるから?拙い字であるから?何かが違う。そうだ、登場人物が。
 何と無く、自分の幼少期を思い出す。物心が附いた頃の、断片的な記憶。しかし憶えている。日記を附けていたのか、あの頃は自分も。脳裏を掠めた存在の顔は見えない。パリスは黙っている、ルィーラーも無言で頁を捲る。
 4〜5行で描かれる毎日。負の感情が書かれていなくても、何故だか理解ってしまった。
 “この人も、淋しい幼少期を過ごしたのだ”
 最後の頁まで辿り着いた時に、ようやっとルィーラーは口を開いた。


「……この頃の事も、憶えていたいと思うのか」
「ああ…当たり前だろ?」
何故、と問うた。碧眼と碧眼がぶつかる。どちらにも悲哀の色は見えない。


「此れが自分だからだ。過去は過去で自分は自分だ。視た物聞いた物発した物感じた物、その全てが現在の自らを形成する。 過去の記憶から逃れることは、現在の自分からも逃れる事だ。そんな事はしては為らない。 其れが、自分のみが体感した物なら猶更、記録に残さなければ為らない。 何故だか分かるか?其れは無かった事には出来ない、しては為らない事実だからだよ。」

パリスはゆっくりと、でも迷う事無く言った。悲しさの欠片もない。


「……辛くはならないのか?ボクは…、記録に残すのは百歩譲って良いとしても、記憶に残すのは嫌だ」
「記憶に残すから現在があるんだ。何時でも昔の自分と比較出来る」


 パリスの言いたい事は痛い程分かった。自らの幼少の記憶は断片的な物でしかない。思い出すのも億劫だと思っていた。
自分が自分で在ること。確かめ直す事は、非常に苦しい事でもある。しかし10年そこら生きてきた現在でも、痛みは残っている。 如何しようも無い感情を無関心という殻に閉じ込めても猶、偶にひょっこり顔を出すのだ。
 楽しくもない、嬉しくもない。だからなのか、歪曲な性格になったのだと自嘲する。


「今からでも間に合うかな…」

独り言だったが律儀にパリスは返事をする。


「間に合うって。だからお前も日記書け!」
「嫌だ」
「えっ」














I-ai-
(自分が自分で在ることを確かめる事に、傷が付かないなんて物は無い)