「あ、見て見て!」


会話がふと途切れた時に、何を見つけたのか、菜奈美は直璃の袖を曳いた。少しだけ菜奈美は小走りになって、勿論直璃も同じように走ると見えてきたのは黒い路地の上に光る緑色の小さな硝子片だった。危ないですよと直璃が咎めるのも構わず、菜奈美はそれを拾い上げ空に透かして片目を瞑った。それは道端で晒されていたのにもかかわらず大して傷はついていないようだった。


「綺麗…」

思わず、と言った風に菜奈美は呟いた。菜奈美と同じように振り仰いだ空は、青々と広々と。とても美しい。其れを表現する言葉を、直璃は持ち合わせていないかったから、何も口には出さなかったけれど。
菜奈美が色んな角度で見ている所為か、太陽の光の反射で硝子片がキラっと直璃の顔を照らした。



「こうやって空を見てるとさ」
「はい?」
「自分の悩みなんて、どうでもよくなっちゃう気がするよね」


ああ、そうだ。きっと自分が言いたかった言葉はそういうことだ、と直璃は笑った。

「そう、ですねえ…」




菜奈美の長い髪が風に躍らされて揺れる。空ってこんなにきれい。それに包み込まれてしまうほど、自分の悩みは小さいのだろうか。本当に?もし小さければ、こんなに心惑わすことはないだろうに。どうしてこう、神様は、人間の器を小さく作ってしまったのだろうか。


「私、空見るの好きなんだ」


変わらずに硝子片を通して空を見ている菜奈美を見た。目の端にその姿を捉えるだけで鼓動が速くなる。ほら、勇気があるなら、今すぐにでもこの気持ちをぶつけることができるのに。なんて、ね。



「よく、見上げてますよね」
「そう。何でか、分かる?」

ふるっと直璃が首を振ると、菜奈美はくすっと笑って久しぶりに直璃を振り返った。また、どくんと心臓が打つ。


「私、今生きてるなあって感じるの。幸せだなあって」
「幸せ…どすか」
「うん。私が必要とされてる以上、私には空が綺麗に見える。だから、悩んでることなんてどうでもよくなっちゃうんだよね」


眩しい位の笑顔を向けられ、直璃は本当に羨ましいと感じた。


「だから…はい、」

急に右腕を掴まれ、吃驚していると、掌に先程まで菜奈美が空に翳していた硝子片が落とされた。


「何に悩んでるのか分からないけど、空を見たら解決しちゃうかもしれないよ」

ね、と言われ、直璃はほんのりと自分の頬が熱くなるのを感じた。その体温で温まった硝子が溶けてしまいそうだった。ほら、今言えたら、この悩みだって小さな悩みに変わってしまうのに。
当分、この悩みは解決しそうになかった。














恋と呼べたでしょうか
(寧ろ、悩みが増えました)