君は変わらず、僕も変わらず







彼女が初めて彼と出会ったのは、ちょうど2週間前。
砂機がその町へマジックショーをしに来た時からだ。




「それでは皆様、このシルクハットをよくご覧下さい。
 見た目はただの帽子ですね」

マイクによって響き渡る砂機の声に、会場中がしんと静まり返る。
赤いシルクハットを左右に振ったり、上下逆さまにしたり、と。
観客に色々な角度から帽子を見せるが、確かにそれは普通のシルクハットだ。
そのことを納得したような会場の雰囲気を読み取り、「では」と続ける砂機。

「このお茶目なシルクハット、被ってみたいお客様はいらっしゃいませんか?」

そう言いながら、まずは砂機が帽子を被る。
しかし何も起こらない。
観客席にどよめきが走り、いったい何が始まるのか、誰もが期待していた。
だからこそ多くの手が上がる。
そう広くはない客席のほとんどすべてから手が伸びていた。

「皆さん、勇気ありますね!
 じゃあ、このシルクハットもしっかり頑張ってくれるでしょう」

観客席を見回していた砂機が囁いた途端、被っていたはずの帽子が浮き上がり ―――
いきなり白い鳩が飛び出し始めた。
小さな帽子から何羽もの鳩が出てきて、会場中を縦横無尽に飛び回る。
すぐに沸き起こる拍手喝采。
その中でひとり。
立ち上がってまで拍手を送る少女がいた。

砂機にはすぐにわかる。
彼は彼女をよく知っている。
3日に一度開催している砂機のマジックショーを毎回見に来てくれる少女。
そのしなやかな黒髪と綺麗な空色の瞳が印象的だった。



「そこのお嬢さん」



鳩の飛び回る歓声の中、マイクによって砂機の声がより大きく響き渡る。
彼が手で示しているのは最後列の黒髪の少女。
急に呼ばれて驚いたのか、持っていたうさぎのぬいぐるみをきゅっと握っていた。
会場の観客の視線が一気に彼女に集まる。
その視線を見回し、

「し、しーゆー!」

最近習った挨拶を一言。
ぺこりと頭を下げようとしたその時。
彼女の背中からお尻にかけて、長い布があてられていた。
その布は先ほどまで飛んでいたはずの白い鳩たち。
何十羽という鳩が群れをなして布を咥えている。
「…えっと、えーっと」と。
どうすればいいのか困っている少女に、砂機が優しく微笑む。

「君に決めた。こっちで僕のマジックを手伝ってくれないかな」
「お手品のお手伝い?」
「そう!白鳩さん、あとはよろしくね」

少女はまだ首を傾げていたが、砂機の掛け声とともに鳩は動き出した。
その広く長い布をぐっと持ち上げ、少女に布に座り込むよう合図を送る。
そんな合図に気づこうと気づくまいと、布を押し上げられたことで小さな体は布を椅子にしていた。
この後いったいどうなるのか。
急いで布をぎゅっと握る。
すると、鳩たちが一斉に羽ばたきだした。
少女の体を布ごと持ち上げ、会場を飛んで進む。
それはまるで布でできたブランコのイスようだ。
少女の顔に怯えから幸せの色が浮かびだす。

「貴女のお名前は?」

砂機の声に「ノクスー!」と元気に返す少女。

「そう…。ノクスちゃん、ね。
 じゃあ、どうぞステージまで降りて来て」
「えっと、…え?降りてきてって…」

空中ブランコ状態の少女、ノクスにどうしろというのか。
そう思った時、鳩が急に速度を落とし、ゆっくりとノクスの身体をステージに下ろした。
ステージに降り立ったと同時に、ホワイトリングが揺れる。
砂機の手がそのリングごとノクスの腕を握った。

「さぁ、皆様!ここからが本日のクライマックス!
 最後のマジック…」

そこまで大きな声で会場に向かって両手を広げると、
今度はマイクを外してノクスにだけ耳打ちをする砂機。

「この赤いシルクハット、被ってくれる?」
「…えっと、うん」

砂機が被っていたシルクハットをノクスに渡し、またもマイクを口元に近づける。

「このお茶目な帽子は、いったい何をしてくれるのでしょうか。
 じゃあ、ノクスちゃん。ワン、トゥー、スリーで被ってね」
「うん」
「ワン、トゥー … ―――」

最初は叫ぶように大きく、次は少しだけトーンを落として、
そして最後囁くように「スリー」と、一言。
ノクスがシルクハットをかぶった、その時 ―――――




帽子から星と光と水があふれ出した。




水はノクスと砂機とステージ全体を盛大に濡らし、噴水のようにステージ上に噴き上がり、
光はノクスを取り囲むようにして輝きを放ち、
星はノクスの頭上、赤いシルクハットにくっついて、そこから会場中に散らばっていった。
それはまるで幻想の世界。
この会場だけが別空間になったかのような、光と水のロンド。

しかし砂機のマジックはここでは終わらない。
彼の指が白い鳩を上空から呼び戻すと、
ノクスの背中に大きな白い翼が形作られた。

照明の落とされている暗い闇に包まれた会場で、ひとり白い羽と星の冠を携えた無垢な少女。
その姿はまるで


「“水の中に佇む天使”」


砂機の声が静かに響く。
同時に鳩たちが白い羽を大きく揺らし、本当に天使の羽が動いているかのように揺らめくのだ。
夢見心地だった会場から一斉に拍手が送られ、砂機は最後のマジック成功に深々とお辞儀をした。



+ + + + +



「今日は本当にありがとう。そして濡らしちゃってごめんね」

もう観客は誰ひとり残っていない、本当に静かな会場にふたつの影。
ノクスと砂機はお互いにタオルで自分の髪を拭いていた。

「ううん!あたし、すっごく楽しかった!すなちゃんのお手品はすごいねー!」
「そう?そう言ってもらえると嬉しいよ。
 僕の方こそ、いつも見に来てくれてありがとう」
「…え?…っと?」

「今日が初めてだけど、何度見に来ても楽しいと思う」と。
そう続けれられた言葉に、砂機がバッと自分の口を手で覆った。
彼は彼女を知っているが、彼女は彼を覚えていない。
当たり前だ。
しかしそんなことも忘れてしまうくらい、砂機は楽しんでいた。

「何だか今日が初めてじゃない気がしたから。ごめんね、変なこと言って」
「すなちゃんって変な人ー。でもそういうところが可愛いと思う!」
「…う〜ん、男に可愛いは…、しかも僕もうおじさんだし」
「いーのー!可愛いの」
「うん、よし、じゃあ、そうしよう」

すっかりノクスのテンポに呑まれている。
それでもかまわない。
この一瞬だけでも楽しいなら、それでかまわない。





「ねぇ、ノクスちゃんはまた来てくれる?」

髪も拭き終わり、ノクスが帰り支度をしていると、急に砂機が笑いかけてきた。
どうしたのかは分からないが、その笑顔にノクスも満面の笑みで応える。

「もっちろん!絶対見に来るね!
 そしたらまたあの水のお手品見せてね。それでそれで、今度はあたしも白鳩さん出したいな」
「うん、じゃあ、今度は僕のシルクハット貸してあげる」
「絶対だよ」
「…絶対、ね」



覚えてもらえるわけがないのに。
この拙い約束が心地良い。






すっかり暗くなった空の下でノクスが笑う。
砂機に手を振りながら、彼の手の届かないところへ帰ってしまう。


「今日のことは絶対忘れないから〜!!」


彼女の大きな瞳が笑みの形に細められて、砂機も笑う。




もう何度この行為を繰り返しただろう。
きっと彼女はまたやって来る。

今日と同じように、砂機のマジックを楽しんでくれる。




それはまた2週間前と同じ光景でもあるというのに ―――――。









Fin...







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冷志さんよりいただきました!
なんて…なんて素晴らしい文章力なんだろう…!
すなちゃんすなちゃんうはははは←
何回読んでもにやにやします^▽^
なんか可愛い生き物がいる^▽^
本当にありがとうございましたっ!