譲柚は血が嫌いだった。

まだ生温かいままの血液はヘモグロビンの臭いが余りにも譲柚の鼻腔を直撃する。かといって、乾いた血液も得意ではなかった。

サイスを初めて目にした時、譲柚はサイスを直視することが出来なかった。 ―いつものことだが―

服の袖や腹部にこびれ付いた血は、茶ばんでいるところを見ると幾分の時間が経過しているという事が分かるが、譲柚はその乾き切った血液からも微かな異臭を感じ取れるほど嗅覚が優れていた。また、サイスが持ち歩いているぬいぐるみから発せられる異臭も譲柚にとっては気分を悪くする材料だった。

嗅覚だけではない、譲柚は常人から逸脱した五感覚を有しているため、視覚的にも血液を見る事は徒ならぬストレスだった。とどのつまり、サイスが苦手だ、と警鐘が鳴ったのだ。

そんな譲柚の心を知ってか知らずか、サイスはこれまで譲柚に全く興味を示さなかった事が、譲柚にとっては一縷の幸福だった。


しかし、今日はどうしたことだろう。家人が一人もおらず、サイスの義兄だと言う人も家人と何処かへ連れ立ってしまったらしい。無口同士の間に会話が生まれることもなく、ただただ重苦しい空気が漂っているだけだった。
食後のデザートね、といって置かれたプリンの殻が、捨てられずに転がっている。其れさえも重苦しく見える。

こんなことなら無理をしてでも外出に付き合うべきだったか…と譲柚はふと視線をサイスに投げやった。
サイスは何を考えているのか分からない表情で譲柚の事を見つめている。矢張り直視は出来ず、視線を下にずらす。それを見てサイスは「ふうん」と呟いた。


「君はどこをやられたの?」


思わぬ問いかけに譲柚は「え、」とサイスをちらっと見遣った。サイスは此方を向いてはいたが、本当にサイスが言葉を発したのか疑う位にぼんやりとしていた。しかし直後に開かれた口が、其れを確固たるものにする。


「同じ…匂いがするよ」

「……」

「えっと、なんだっけ?まあ、どうでもいいか」


感情の色の無い左右の目が、譲柚の心を揺さぶる。

サイスはもう譲柚には興味が無くなったようで、一休みする寝床を拵えていた。そして幾分も立たない内にぬいぐるみをぎゅっと抱きしめながら寝息を立てている。

本能のまま生きている。そんな印象を受ける。譲柚は違和感に苛まれる。

血の臭い。ぬいぐるみの異臭。掻き乱される感情。古い記憶。強い神経の刺激に頭がガンガンする。

譲柚は誰に聞かずとも何と無く気付いていた。サイスやその義兄がどの様な場所に居て、どの様な仕打ちを受けたのか。そして其処には自分と重なる部分が多々あるということ。


空っぽのプリンの容器をぼんやりと見つめながら、この心が何時か埋まるのだろうかと考えた。サイスも同じなのだろうか。同じ匂い。幾ら外見を清潔にしようとも、出てしまう匂い。
其れならば、"自分はサイスの持つぬいぐるみと同じだ"。


サイスはそれから義兄が帰宅するまで起きなかった。

















空っぽの人形