そろそろ夕暮れにさしかかる。行き宛てもなくぽつりぽつりと心行くまでに歩を進める。この辺りは商店街らしく、八百屋さん魚屋さん散髪屋さんと言った懐かしい風景が立ち並んでいた。未だ客足も途絶えておらず少々驚く。
珍しい風景に目を泳がせていると、見知った顔を見た気がして後ろを向いてしまったその人に近づいてみた。声を掛けようと口を開いたときあれ、と思った。先程は似てると思った横顔が再び見えた時に違うように見えたからだ。
もし他人ならば失礼だと顔を下げて通り過ぎようと思った。その瞬間振り返ったその人が、あ、と声を上げる。
「ロイズはん?」
独特な響きは聞き違えることはない。もう一度その笑顔をみて安堵する。ああやっぱり見間違えではなかったと。そして躊躇してしまったことを心の中で詫びた。
「お買い物どすか?」
そう言った直璃の言葉に笑っただけで直璃さんは、と尋ねる。直璃はその事に気付かず、目の前のお店に入っていった背中を見つめながら少し困って手を顎に持っていってうーんと考える。
「…荷物もち?」
「あら」
くすくすと笑い出したロイズを見て直璃も笑顔でおつかいです、と言い直した。その笑った顔が苦痛の一翳りもなく寧ろ嬉しそうだったので心底不思議だった。
ロイズが店の商品を一つ一つ眺め、直璃もその視線を追いながら雑談をする。直璃とロイズは常に寄り添っている程仲がいい訳ではない。ほんの気の合う相手という感じである。共通するところも反発しあうところも勿論あって、けれど冷たすぎず熱すぎずそんな関係は誰もが納得出来る程丁度いい温度で腰辺りにすとんと落ちてくる。その距離は相談するのは最適で小さな悩みから大きな悩みまでロイズは何度も相談を受けたし此方からもお願いした。
しかしその距離が故、欲しい言葉がもらえなくて傷が塞がらないまま残ったりする。言って、お願いだからこう言って、と思う度にいつも自分は相談したいわけではなく、悲観的な考えを否定して欲しいのだと薄々気付いていた。
「…はん?ロイズはん?」
自分の顔の前で直璃が小さく手を振っている。少しぼんやりしていたのを体調が悪いと取ったらしく直璃はとても心配したような表情を浮かべていた。
「大丈夫どすか?何処かに座られますか?」
「結構ですよ」
直璃と話しているとつられてついロイズも敬語になってしまう。今もつられてしまってロイズは何だかおかしくなってくすっと笑みを零した。直璃は理解できずにロイズの顔を覗き込む。直璃の体調が悪いわけでもないのに、というより体調が悪い人なんて誰も居ないのに、何故だかとても悲しそうな顔をしていた。何時か、一番の悩みを口にした時と重なった。
「私の存在意義が分からないの」
相手に届いていたらいいな、という程度の小さな声でロイズは呟いた。べた、と青色のペンキで塗りつぶしたような晴天の日だった。その空を見上げていた直璃がピクっと反応したので、声は届いているようだった。
「私が居ないことでこの世界が変わるかしら。……いいえ、私が居てもこのつまらない世の中はどうにもならないのかしら。もし変わるのならば、どれだけ傷付いても…傷つけられて泣いたっていい。その努力が報われるなら。…でもそうではないでしょう?……私の存在意義は何なのでしょうか…」
常に頭で考えていたから予行演習をしたみたいにすらっと言えた。自分から口にしたのに怖過ぎて顔を上げられなかった。少し沈黙が下りて言ってしまった事を後悔し始めた時に、直璃がそれは、と言った。一度下唇を舐めてから、直璃は再び口を開いて言い切った。
「悲しいです」
その時泣きそうになったのを覚えている。何故沢山ある彼の語彙の中からその言葉を選んだのか。ロイズには推し量ることが出来なかった。
ふと、直璃が連れ立ってきたという人に名前を呼ばれた。そういえば複数で来ていたのだと思い出してまだ心配した顔を此方に向けている直璃を安心させるように緩く微笑んだ。
「大丈夫ですから」
「そうどすか?ほな……お大事に」
度々此方を振り向きながら小さな歩幅で駆けて行く直璃を見つめる。恐怖のようなものを漠然と感じたロイズは弾かれるように待って、と叫んでいた。吃驚して振り返った顔を見ると飛び出そうとしていた言葉が急に引っ込んでしまった。なのでやっぱり何もないと首を振ってさようなら、と言った。直璃も笑って手を振ってくれる。
喉辺りまで込み上げた思いを歯を食いしばって閉じ込めた。無理矢理だったからまた小さな傷ができた。”また”。其処から零れ落ちた涙は止まってはくれなかった。
横顔が別人に見えたのは、彼が“孤独”でなかったから。声を掛けれなかったのは、とても羨ましかったから。
確かめた孤独
(ちっぽけな私でも、叫ぶことが出来るのだろうか)