ハチルさァん、と気怠い声が聞こえる。俺も気怠い。何故だ、空風が吹き始めたから?いや、違うな。ああ本当に怠い。
返事をするのも面倒くさくて黙っていると、もう一度ハチルさーんと呼ばれた。
俺が返事をするまで呼び続ける事にしたのか一本調子で連呼し始めるもんだから、
あーもう、と言って振り向く。
「うっせえよ、なんだよ!」
「何ってわかってるくせに!…いや、バカだから何もわかっちゃいねえのか」
「はあ?なんで急にバカとか言われなきゃなんねーんだよ!」
何で喧嘩腰なんすか、いやお前がそうくるからだろ、と押し問答を経て、転は額を押さえて溜息を吐く。
気怠いのに無駄なエネルギーを使わされて、更に体が怠い。
「姫も可哀そうっスね、こんな男に踊らされて。あれはないすよ、無神経にも程があるってやつスね」
「いや、俺だってあんな状況になるとは…」
「プレゼントすよ?わかってます?まあ状況もだけど」
「……あー」
プレゼント、とちらっと見遣る。依然として其処にある小袋は、あの日、俺からヘレネの手に渡り、転を介して返ってきたものだ。
言ったつもりなのに届いてなかった言葉のように、ヘレネの元には届かなかったのだ。可愛く装飾されたドライフラワーが元気を失くして萎れているように見える。
「お嬢もめちゃくちゃ気にしてたっすよ。必死で取り繕ってたけど。あれはかなりきてたね」
「…会ったの?」
「ハチルさんの話をしたらかなり動揺してた」
俺の問いかけには無視して、転は話を続ける。
「お嬢。これまでにないタイプなんだろ。だからハチルさんは戸惑ってる」
「……」
「いいんスか、このまま放っといて」
「…よくねえよ」
まあ俺は、浮気を容認してるわけじゃないすけどね!と転は俺を冷たく見つめた。うっと声が出た。
基本、転は俺の事を叱ってる。
其れが適当の様に見えて結構的を得ている事が多いから、俺は何時も言い返せない。
そんな俺を見て呆れたように溜息を吐かれるのはよくある事だが、其れが割と心にぐさっと刺さる。
臆病者、と転がぼそっと呟く。
「浮気性なのに臆病者なんて最低っすよ!」
「さ最低…っ!?ひ、ひど!!」
「酷いのはあんただろ!!最も底辺なんだよだから最低なんだよ!!」
「え、えぇ!?転さん何時にも増して冷たくない!?」
「それ位言わなきゃ分かんねえだろアンタは!」
「いや、分かってる分かってます!」
何を、と転は聞かなかった。その代わり今日一番盛大な溜息を吐いた。伴って俺の心も、今日一番抉られる。
「アンタ年上なんだから、もうちょっと気遣えないの」
何も言い返せない。ああ体が怠いな。今日何度目かのそんな事を感じた。
「アンタがうじうじうじうじしてる間に、お嬢がどんだけ苦しんでどんだけ悩んで決断したか知らねえだろ」
「…決断?なんの…」
「それは本人に訊けば」
ほら、と言って転は俺の後方を見つめる。え、と振り返る。遠目からでも分かる絶世美女が、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。身の熟し、服装、自尊心、そして顔。
何を取ってもきっと艶やかで綺麗な人なんだ、俺とは違って。そんな人だ。そんな人が、此方に近づいてくるのが分かる。そう、近づいてきている。
「お嬢…」
振り向いた俺と目が合って、その人は一瞬躊躇ぐ。けれど、意を決したように歩みは止めない。
徐々に距離が詰まる。
どうしよう、と呟いた。あの日から俺は迷ってばっかりだ。
「ハチルさん、アンタ、情けない男にだけはなるな」
転が力強くそう言った。これは一種の餞別だな。と、自嘲する。
顔をパチパチと二度叩いて、よし、と気合を入れた。俺は、もう迷わない。迷ってはいけない。
ヘレネが、一歩先で立ち止まる。
息を吐いて、目を閉じた。
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